深川を名寄を結ぶJR北海道バスの深名線に乗車しました。1995年9月に鉄路廃線となったJR深名線の廃止代替バスとして誕生した路線で、現在も沿線住民の貴重な足として走り続けています。今回は、6月下旬の日曜日に深川から名寄に向けて全線を乗り通してみました。その様子を詳しくお伝えします。
はじめに
今から30年以上前になろうか、まだ北海道の鉄道が現在よりもはるかに”元気”であった時代、当時乗り鉄旅行者の強い味方であった「周遊券」を駆使して道内鉄路を乗り潰した中で、最も印象に残った路線は深名線であった。特別に車窓の景色が美しいというわけではないが、国鉄時代より日本有数の大赤字路線として名を連ねながらも奇跡的に鉄路として残り続けた事情がこの路線に興味を持ったきっかけであった。
この地域は林業と石炭採掘が産業の中心であったが、1960年代を境に衰退、人口も減少していった。同時に道路の整備も進められ深名線の利用状況は悪化の一途をたどっていった。毎年公表されていた国鉄の路線別営業係数(経営効率を示す指標)では、近くにある美幸線とともにワーストの常連で、1981年度にはワースト1位の汚名を着せられた。
このような状況で当然廃線の危機に立たされてきた路線であるが、1980年に施行された「国鉄再建法」に基づく廃止対象路線(特定地方交通線)からは除外された。その理由は代替道路の未整備であった。国鉄民営化によりJRの路線として存続、秘境を走る鄙びたローカル線として鉄道旅行者の人気を集め、旅行シーズンには満席になることもあった。しかし、並走する国道275号及び道道名寄遠別線の道路改良が着実に進行、1991年の名母トンネル開通が決定打となり、その4年後に鉄路が廃止となった。
2024年現在、運行されている廃止代替バスは深川-幌加内と幌加内-朱鞠内・名寄に系統が分かれている。運行本数は、深川-幌加内は1日7往復(うち快速便2.5往復)、幌加内-名寄は平日4往復・土日祝日3往復で、鉄路廃止時点の列車本数よりも多い。他に幌加内-朱鞠内の区間便も設定されている。
深川駅から乗車
深川駅から幌加内に向かう8:20発の始発便に乗るべく前日に深川入りし、駅から徒歩5分の場所にある「日の出屋旅館」さんにお世話になった。駅近でありながら静かな環境にあり、深川で泊まるにはおすすめの宿。ご主人も気さくな方で、いろいろな話をお聞かせいただいた。
8時に宿を出て駅に向かう。駅舎は国鉄時代からの古いものであるが、駅前広場は現代風に整備されている。
深名線バス乗り場は駅舎のすぐ前にあるが、まだバスは来ていない。
しばらく待つと、発車5分前の8:15頃にバスがやってきた。てっきり中型の観光タイプのバスが来るのと思っていたが、登場したのは意外にも大型の路線タイプ(いすゞエルガ)、しかも長尺車だ。数年前に大都会札幌から転属してきた車両だそうだ。
側面の行先表示器には「快速 幌加内」と表示されている。途中、多度志までの区間がノンストップとなる快速便である。
早速乗り込む。まず確認したかったのは、幌加内で名寄行きに乗り継ぐ場合の運賃だ。運転士に聞くと、深川から名寄までの通し運賃が適用になり、片道大人は2,520円とのこと。ここで裏ワザがあり、売価1,000円で1,100円分利用可能な回数券を車内で2セット購入し、残りの差額320円を追加で支払うと支払い合計額は2,320円、普通運賃より200円ほど安くなる。
8:20、定刻に深川駅を発車。乗客は自分を含めて4名である。
深川から幌加内へ
バスは国道233号を北上し市街地を出る。しばらく走ると道道深川多度志線との分岐があり、道道へと入っていく。
鉄路の深名線線路跡はこれよりだいぶ東側を走り、多度志までの間に円山駅(国鉄時代は仮乗降場)と上多度志駅があった。現在も各停便のバスは線路跡に近い道道多度志一已線を通っている。
多度志市街で国道275号に入る。しばらくして最初のバス停である多度志停留所があるが、乗降客はいない。このバス停は多度志駅跡からはやや離れた場所にある。
多度志の市街を出ると、上り便の深川行とすれ違った。こちらは深名線用に投入された中型の観光タイプのバス(日野メルファ)だ。
交通量の少ない国道275号を北上していく。雨竜川の清流を眺めながらのバス旅が続く。旧線路敷も並走しているはずだが、農地に転用されている箇所も多く、車窓からは遺構はほとんど見えない。
鷹泊には旧駅舎が残されている。鷹泊駅は深名線の主要駅の一つであったが、国鉄末期に列車交換設備が撤去され無人駅となった。駅が無くなって久しいが、国道から駅跡に通じる道道鷹泊鷹泊停車場線は、いわゆる”停車場の無い停車場線”としてそのまま残されている。
鷹泊を過ぎると雨竜川からは一旦離れ、深名線最初の難所である幌加内峠の峠道となる。2010年12月に延長1,251mの幌加内トンネルが開通、かつての難路は快走路に生まれ変わった。
ここから深川市を離れ幌加内町に入る。見事なストレートがいかにも北海道らしい道。
バスは一旦国道を離れ、沼牛駅跡付近にある下幌加内停留所を通過。この沼牛駅舎は比較的良好に保存されている。
沼牛地区内を大きく迂回し再び国道に戻る。沿道に建物が増えてくると幌加内の中心市街だ。
9:23、定刻よりやや早く幌加内バスターミナルに到着した。深川から一緒に乗ってきた乗客4名が下車。
幌加内で乗り継ぎ
ここで9:38発名寄行きに乗り継ぐ。といっても他のバスは見当たらず、深川から乗ってきたバスがそのまま名寄行きに変身するというわけだ。名寄方面乗り場にバスが小移動して再び扉が開く。
発車まで少し時間があるので、ターミナル周辺を散策してみる。幌加内交流プラザという公共施設と一体となっており、建物内には観光案内所や蕎麦店などがある。ここ幌加内町は「日本一の蕎麦の町」として知られている通り、ソバの作付面積、生産量は日本一を誇る。それにしても、6月下旬とは思えない位の肌寒さ。さすが「日本で一番寒い町」である。
幌加内の駅は国道から少し東に入った所にあった。深名線随一の主要駅で、中間駅では最も乗降客が多かった。廃線後も木造の駅舎が残されていたが、残念ながら火災で焼失している。
さて、発車時刻が近づいてきたのでバスに戻る。行先表示器には「湖畔経由 名寄」と表示されている。
深川から乗ってきた4名がそのまま乗車、更に1名が乗ってくる。9:38、定刻に幌加内を発車した。
幌加内から名寄へ
国道275号を北上する。幌加内の市街を出ると民家は一段と少なくなる。
右手にトラスの鉄道橋が見えた。これは第三雨龍川橋梁だ。駅跡を除くと車窓から見えた唯一の遺構らしい遺構である。公益社団法人土木学会の選奨土木遺産に認定されており、1931年竣工、道内初の吊足場式架設工法の採用と輸入鋼材鈑桁の転用など、経済性と工期短縮を考慮した昭和初期の地方鉄道線建設を伝える橋梁だそうだ(同学会サイトより引用)。
道の駅「森と湖の里ほろかない」に到着する。「幌加内せいわ温泉ルオント」という温泉施設が併設されており、自動車も多く停まっている。ここは幌加内町内で一番賑やかな場所なのではないだろうか。
道の駅構内に「ルオント前」という停留所があり、ここで2名下車した。深名線バスの利用促進のため、幌加内町により年13日の特定日を対象に”バス無料DAY”が設定され、今年2024年度は3年目の実施。今年度は当施設とのコラボで入館料割引などの優待サービスが受けられる。
バスは政和地区を通過。広大な蕎麦畑が広がり、7月から8月にかけての開花時期には純白の絨毯を敷いたような景色を見ることができるそうだ。
日本海沿いの苫前町に抜ける国道239号分岐を通過すると、添牛内の集落に入る。集落と言っても民家が数軒あるだけだが、蕎麦店もある。添牛内駅の跡には駅舎が保存されており、この日はイベントが開催されている様子であった。
添牛内停留所で2名下車し、とうとう乗客は自分一人となってしまった。士別市に向かう国道239号と別れ、275号を北上する。この先朱鞠内までの区間は民家はほとんど無い。
しばらく走ると朱鞠内の市街へと入る。ここは町役場支所や警察官駐在所、郵便局、小学校などがあり、一通りの行政機能が備わっている。
朱鞠内の駅跡には鉄路のモニュメントがあり、新たにバス待合所が建てられた。深名線の運行上の主要駅として、幌加内とともに鉄路廃止時点まで駅係員が配置された有人駅であった。
朱鞠内でも乗降無く、バスは私一人を乗せたまま終点の名寄へと向かう。運転士に話を伺うと、今日は乗客は多い方だとのこと。意外にも日中時間帯は土休日よりも平日の方が乗客は少ないそうだ。
バスは一旦国道を離れ、道道蕗の台朱鞠内停車場線を進む。6~8月の夏季は朱鞠内湖の観光客の便を図るため、日中2往復のみ湖畔を経由する。
キャンプ場などがある湖畔停留所に到着。ここで時間調整のためしばらく停車する。運転士の許可を得てバスから一旦下車して体を伸ばす。
湖畔を発車後再び国道に戻る。なお、余談だがかつて朱鞠内から天塩山地を越えて日本海沿岸の羽幌まで結ぶ国鉄名羽線の計画があり、1962年に着工、石炭や林産物輸送の産業路線として期待されていたが、1970年代に入り両産業とも衰退。接続する深名線の存続も危ぶまれる中でも建設が進められたが、国鉄再建法施行により1980年に工事中止となった。今も完成したトンネルや橋梁が無人の山中にそのまま放置されているという。
バスは美しい朱鞠内湖の景色を眺めながら走る。鉄路は国道とは反対側の湖の北西をぐるっと回っていた。途中に蕗ノ台駅、白樺駅があったが、1970年代には無住地帯となり鉄路廃止に先立って1990年に両駅とも廃止された。
バスは母子里地区で国道に別れを告げ道道名寄遠別線を東に進む。ここ母子里では1978年2月に氷点下41.2℃の日本最低気温を記録、当地にあった北母子里駅は”日本一寒い駅”として有名であった。
名母トンネルを通過、幌加内町から名寄市に入る。車窓からは名寄盆地の景色が広がる。
バスは途中で道道名寄遠別線から右折し、かつて天塩弥生駅があった弥生地区を目指す。鉄路は道道よりやや南側を走り峠を越えていた。
天塩弥生駅は駅舎が残されている。現在は民宿として利用されているようだ。
深名線最後の中間駅、西名寄駅は現在の上川ライスターミナル名寄工場にあった。名寄盆地に入ると線路跡は農地や宅地に転用され、鉄路の痕跡はほとんど見られない。
天塩川を渡ると名寄市街地へと入る。名寄市立病院前を経由し終点の名寄駅には11:35の到着、定刻より3分の遅れであった。
感想
幌加内町の人口は、1956年の12,177人をピークに減少の一途をたどり、鉄路廃止の1995年には2,414人、2024年6月末現在では1,237人となり、ピーク時の10分の1、鉄路廃止時の半分になってしまった。
深名線バスの輸送実績は、鉄路廃止翌年の1996年度に対し2023年度の実績は12.6%に減少、沿線人口よりも減少幅は大きい。利用主体の高校通学客も、幌加内町内から深川方面へは約10名、名寄へは2名程度ほどだそうで、新型コロナの影響も加わり公共交通離れに拍車がかかっている。
7年連続で1億円以上の赤字を計上するという経営状況に加え、深刻な乗務員不足も伝えられる中で、現在の運行体制がいつまで維持できるであろうか。地域にとってなくてはならない公共交通として末永く存続することを願ってやまない。
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