山形県北部、最上地域と庄内地域を結ぶJR陸羽西線、愛称「奥の細道・最上川ライン」に乗ってみました。その名の通り、最上川沿いを列車が走る景色の良い路線です。
今回は、起点の新庄駅から、羽越本線酒田駅まで普通列車に乗車しました。国鉄時代、急行列車が多数運転された”亜幹線”の時代を偲びつつ、松尾芭蕉が「五月雨を集めて早し最上川」と詠んだ、日本三大急流最上川を眺める車窓をご紹介します。
併せて、酒田市の本間美術館に訪問してみましたので、その様子もお伝えします。
基本情報
陸羽西線は、奥羽本線新庄駅と羽越本線余目駅を結ぶ、延長43.0kmの鉄道路線である。運行事業者は東日本旅客鉄道(JR東日本)。
小牛田-新庄間の陸羽東線とともに、線路名称上は「陸羽線の部」を形成しており、”本線”と同等の位置付けがされている。
かつては、上野、仙台、山形から庄内地域を結ぶ急行列車が当線を経由し、幹線に準じる”亜幹線”の位置づけがされていたが、現在は普通8往復、快速1往復(当線内全駅停車)の合計9往復が運転される、純然たるローカル線となっている。
乗車体験記
新庄駅の様子
1泊した山形を出て、奥羽本線(山形線)1427Mで新庄に着いたのは9:52。お盆の大型連休なので、駅はそれなりに賑わいを見せていた。
久々に訪れた新庄駅は大きく様変わりしていた。山形新幹線の新庄延伸に伴い、奥羽本線の福島-新庄間は標準軌(1435mm)に改軌されている。新庄から先、青森までは従来通り1067mmであるため、奥羽本線は当駅で物理的に分断されている状態だ。
かつての2番線と3番線は中ほどで分断され、福島方(1435mm)は1,2番線、青森方(1067mm)は3,4番線となっている。駅舎から見て一番奥の5番線は1067mmの線路が敷かれ、主に陸羽東線の列車が使用する。
分断部分は旅客通路となっており、改札口から全ホームに平面移動ができるようになっているので、非常に便利だ。
興味深いのがホームの高さ。1,2番線を使う新幹線電車と標準軌型719系,701系電車は出入口にステップが無いので、当該ホームは電車規格の1100mm、その他のホームは電車・気動車共用規格の920mmとなっている。ホーム自体は全てフラットなので、1,2番線のみ路盤を掘り下げる工夫がなされている。
発着する車両も様変わりした。かつての名優、485系特急電車やキハ58系急行気動車、赤い50系客車は姿を消し、新幹線E3系、701系、キハ110系といったJR世代の車両が現在の主役。
ここ新庄は、市民歌の歌詞に謳われている通り”鉄道の町”として発展してきた。奥羽線と陸羽(東西)線が十字に交差する鉄道の要衝として、国鉄時代には機関区や客貨車区などの施設が設けられれ、多くの職員が働いていた。
現在は、広大であった構内はかなり縮小されてはいるものの、運転関係の現業機関である新庄運転区があり、今も古い機関車庫と転車台が残されている。
さて、これから乗る陸羽西線155D酒田行は、10:15の発車。少し時間があるので改札口を出て散策してみる。
駅舎は1999年の新幹線開業と同時に建て替えられてる。コンコースは天井が高く開放的な感じだ。毎年8月に開催される「新庄まつり」の山車が展示されている。
乗車
発車時刻が近づいてきたので、ホームに戻る。
酒田行155Dは3番線から発車。すでに車両は入線していた。JR東日本の主力気動車、キハ110系だ。
2両編成で、座席は5割程度埋まっている。東京を早朝に出た新幹線つばさ121号からの乗り換え客もいた。
10:15、定時発車。すぐに西に針路を転じ、新庄市街地の外縁をぐるっと回っていく。あらためてグーグルマップの航空写真を見ると、市街地は見事に駅を中心に半円状に広がっており、正に鉄道とともに発展した街の様子を見ることができる。
最初の停車駅、升形は、以前あった行き違い設備が撤去され、いわゆる”棒線化”されている。当路線もご多分にもれず”スリム化”が進んでおり、新庄-余目間43.0kmの間で行き違いが可能な駅は、なんと古口1駅のみとなってしまった。
3つ目の駅、津谷を発車すると、列車はいよいよ最上川とご対面。最上川を渡る当路線唯一の橋「第一最上川橋梁」を渡ると、古口に到着する。
古口は観光船「最上峡芭蕉ライン舟下り」の乗換駅。かつては駅員が配置され急行列車も停車していたが、現在は簡易委託駅となっている。
ここからが当路線のハイライト区間、列車は最上川沿いを進んでいく。上流で雨が降ったのか、川の水はかなり濁っていた。
次の高屋は、源義経と松尾芭蕉が訪れたとされる「仙人堂」の最寄駅。駅付近にある桟橋から渡し船が出ている。近年は縁結びのパワースポットとして人気があるそうだ。
川の向こうに白糸の滝が見えると、徐々に地形が開けてくる。それにしても、この陸羽西線は谷間の険しい地形を通る割には急曲線が少ないので全般的に速度が高い。43kmを46分で走り表定速度は56km/hと、普通列車にしては速い。線区最高速度の95km/hでキハは快調に飛ばしていく。
列車は清川に到着する。この駅も行き違い設備が撤去されているが、閉塞区間の境界駅となっているため、場内・出発の各信号機が設置されている。2018年、集中豪雨による被災で古口-清川間が長期不通になった時は、当駅で折り返し運転が行われていたとのこと。
新庄方に1本ある側線は、横取装置ではなく通常の分岐器で本線とつながっている。
かつての急行停車駅、今も立派な木造駅舎が残る狩川を発車すると、列車は庄内平野の真ん中を最高速度で突き進む。
線内最後の駅、南野を発車。長いストレートが気持ち良い。
やがて左後方から複線電化の線路が合流する。羽越本線との接続駅、余目に到着。ここで鶴岡方面の列車に乗り換えるのだろうか、多くの乗客が下車した。
余目からは、羽越本線に乗り入れる。複線電化された立派な線路を進む。北余目を発車すると、先ほど眺めてきた最上川を再度渡る。
この橋「第二最上川橋梁」は、鉄道に携わる者は決して忘れてはいけない事故、2005年特急いなほ号脱線事故の現場である。車両が激突した養豚場施設の跡地には慰霊碑が建てられている。
JR東日本はこの事故を受けて、当該橋梁付近に風速計を増設、防風柵を設置するなど、強風対策を強化した。
列車は11:19、酒田0番線に定時到着。ここは”日本海縦貫線”の重要駅であるため構内は広い。
ここから、羽越本線の普通列車に乗り換えて新潟方面に向かう。1時間半以上時間があるので、途中下車し市内を散策することにした。
本間美術館訪問
駅前広場はタクシー乗り場と駐車場になっている。バス乗り場は広場内には無く、少し離れた道路上にある。
酒田駅は市街中心部から北東にやや外れた所に位置しているので、「山居倉庫」などの観光名所は遠い。猛暑の炎天下の中、徒歩やレンタサイクルで行く元気は無いのでバスの便は無いか確認するが、あいにく本数が少ないのであきらめた。
駅から近い、本間美術館に行ってみることにする。徒歩5分ほどで到着。入館料1,000円を払う。
江戸時代の豪商、本間家が創始者となり建てられた私設美術館。美術品の展示に加え、京風の純和風建築「清遠閣」、国の名勝に指定された庭園「鶴舞園」が見どころ。
説明書きによると、清遠閣の2階からは鳥海山が望めるが、以前はちょうど山並みが重なるところにカラオケ店の看板が見え、せっかくの景観が台無しになってしまっていたので、2014年に「やまがた社会貢献基金」の助成を受けて、そのカラオケ店の看板改修工事を行ったとのこと。商業と景観の問題はどこにでもある話。
美術館を堪能し、駅に戻る。その途中には庄内交通のバスターミナルがあるので立ち寄ってみた。高速バスの乗車券発売窓口が設置されている。
感想
現在は1日9往復のローカル列車が走るのみとなってしまった、この陸羽西線。上野からの直通の急行列車が走った昔日の面影はあまり残っていない。
乗客数は凋落の一途をたどっており、ウィキペディアの記事によると、平均通過人員は1987年には2,185人/日であったものが、2015年には391人/日まで減少してしまっているとのこと。
2018年の駅別乗車人員は、古口が30人/日、狩川が65人/日であり、その他の無人駅は数名程度と推測される。このことから、当路線は全線乗り通しの地域間移動旅客がメインであろうと思われる。
前述した通り、かつては急行列車が多数運転され、県都山形から庄内地域へのメインルートとしての役割を担っていたが、1999年の山形新幹線新庄開業により、最後まで残っていた山形と酒田を結ぶ直通の快速列車が廃止された。現在はその役目を高速バスが担っている。
この路線の活性化はなかなか難しいかもしれないが、ある程度期待できる需要としてはインバウンドが挙げられると思う。銀山温泉、最上川、酒田・鶴岡といった外国人に人気のある観光地が沿線には並んでいる。
しかし、外国人が利用しやすい鉄道になっているとはあまり思えない。特に、「奥の細道・最上川ライン」という愛称名が長すぎる。言葉のわからない外国人が認識するのは困難だ。地域の魅力を全部込めようという希望は理解できるが、やはり路線名はシンプルにすべきである。
車内の自動案内放送も愛称のみが使われており、陸羽西線という本来の線名は無視されている。これは日本人であっても事情を知らなければ混乱するのではないだろうか。
路線名の問題は当路線だけの話ではない。最近は正式な線名も妙にひねった名称が多い。原点に返って、すべての路線名は”シンプル・イズ・ベスト”に改めるべきだと思う。
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