【2020年3月】JR東日本信濃川発電所を巡る

首都圏のJR線を支える縁の下の力持ち。新潟県にあるJR東日本信濃川発電所の施設群を見てきました。

同社が使用する総電力量の約1/4、東京都内だけを見れば約半分の電力を賄う、”クリーンエネルギー”の水力発電所です。

今回は車を使用して、主要施設である取水用の「宮中ダム」、水量の調節を行う「浅河原調整池」、そして3ヶ所ある発電所の中では最も古い「千手発電所」を巡りました。その時の様子を詳しくお伝えします。

概要

JR東日本「信濃川発電所」は、新潟県十日町市・小千谷市にある、信濃川水系から取水した水を利用している鉄道運転動力用の水路式水力発電所。千手発電所、小千谷発電所、小千谷第二発電所の3つの発電所があり、「信濃川発電所」はその総称である。

出典:JR東日本公式サイト

歴史は古く、第一次世界大戦後の1919年9月に計画が閣議決定され、当時国有鉄道を所管していた鉄道省により事業がスタートした。1923年に発生した関東大震災により事業は一旦中止されてしまったが、1930年に再着工。1939年11月1日に千手発電所での発送電が開始となった。

その後、日本国有鉄道時代の1951年には小千谷発電所、JR化後の1990年には小千谷第二発電所が運用を開始して現在に至る。

3つの発電所を合わせた総発電能力は44.9万kwに上り、2018年度の発電実績は12.3億kWh、同社の総使用電力量の21.1%を賄っている。

宮中ダム

宮中ダムは、日本一の大河「信濃川」本流に造られた発電用のJR所有ダム。正式名称は「宮中取水ダム」で、地元では「鷹ノ巣ダム」と呼ばれている。

型式はコンクリートの自重で水を堰き止める「重力式コンクリートダム」で、堤高は16.8m、総貯水量は97万㎥となっている。

宮中ダム

最寄り駅は飯山線の越後田沢駅。ここからダムまでは1.8km、徒歩で25分ほどかかる。今回は車を利用したので、駅は立ち寄ったのみ。

越後田沢駅

宮中ダム建設当時、このあたりは建設特需で大変な賑わいであったそうだ。鉄道省職員や工事作業員等が移住し、飲食店は活況を呈し、駅前には劇場が開館したとの記録がある。

信濃川に架かる国道353号線の宮中橋に差し掛かると、左手に大きなダムが見えてくる。これが目的の宮中ダムだ。

橋を渡った左岸側は公園になっている。駐車スペースがあるので車を停めて散策してみる。

この公園は「黄桜の丘公園」の名付けられ、宮中取水口工事による残土を盛り上げた丘に、珍しい薄黄色の花が咲く桜「黄桜」を植樹した公園とのこと。ソメイヨシノの開花時期を含めると、例年4月中旬から5月中旬頃までの1ヵ月間、桜の花見を楽しむことができるそうだ。

黄桜の丘公園

一角にはコンクリート柱が林立しているオブジェがあった。案内板があり、ナイジェリアの芸術家オル・オギュイベ作の「いちばん長い川」と記されている。

オブジェ「いちばん長い川」

電気という私たちの生活に欠かすことができないエネルギーを作り出す一方、流域に潤いをもたらすはずの川がダムにより瀕死の状態にある。近代化の光と影の部分を認識し、その意味を問う作品である。

案内板

公園内には公衆トイレが設置されている。JRの建物財産標が貼られているので、同社の所有物であることがわかる。建築年は2014(平成26)年、後述する取水に関する不祥事が発覚した後だ。

公衆トイレ
トイレの建物財産標

公園の敷地の一部はJR所有地なのであろう。線路際ではおなじみの”工”マークが刻印された用地境界杭が埋まっている。

用地境界杭

ダムが間近に見える場所に、記念碑と案内看板があった。2016年、日本土木学会により土木遺産に認定されたことを記念するもの。

ダム全景
記念碑と案内看板

公園を挟んで川とは反対側の一帯にも巨大な人口構造物がある。こちらは本流から取水した水から土砂等を取り除く”沈砂池”だ。

この沈砂池は長さ350m、深さ5mの亀甲形の池で、縦に三分されていて送水を止めずに交互に中の掃除や補修ができるようになっている。訪問した時は、写真の様に真ん中の水路が空になっていた。

沈砂池

小高い公園からダムの付け根に降りる通路がある。通路を下ると、ダム本体と沈砂池への水門に挟まれた場所に出る。

ダム堤頂部及び取り付け道路は公道になっており、一般歩行者、自動車が通過する。建設当時、工事のため信濃川の渡し船「宮中渡し」が廃止となってしまったことで、地元の村が鉄道省に嘆願書を出し、通行が許可されることになったとのこと。

巨大な構造物に挟まれ、工場の中に迷い込んだような雰囲気だ。

公道部

まず目についたのが、上流側に向かって右手にある沈砂池の水門。年代物のゲート巻上施設は、何となく”国鉄チック”な雰囲気。

沈砂池の水門

さて、いよいよダム本体に行ってみる。水門はローラーゲートが11か所。前述の通り堤頂部は道路になっているので、一般の人の立ち入りも自由だ。ダムを見学に来た家族連れの姿も見られた。

たもとには「宮中操作所」という銘板が付けられた建物が建っている。その名の通りローラーゲートの開閉を操作する施設。建物財産標には”昭和15年”(1940年)と書かれているので、ダム完成から少し遅れて建てられたものと思われる。

ダム本体
操作所建物
銘板
取水操作所の建物財産標
鳥瞰図

建物側面に水利使用許可標識が貼られている。もちろん現在は、この取水量はきっちり守られているのであろう。

水利使用許可標識

なお、この操作所建物とは別に、道路を挟んで「宮中駐在」という詰所もある。こちらにはダム放流量計が設置されている。

ダム放流量計

ちなみに、ダム訪問者に配布される「ダムカード」は、ここではなく小千谷発電所で頂けるとのこと。

堤頂部からは巨大な水門を間近に望むことができる。上部には巻上機があり、三菱重工業横浜船渠の製造銘板が掲げられている。

水門
製造銘板

ダムの上流側に取水口がある。ダムのすぐそばにあるのが「宮口取水口」で、更に上流側に「宮中第二取水口」がある。ゴミや流木等が流れ込まないよう柵が設けられている。

ダム上流側
宮中取水口

右岸には魚道があり、そこを通る魚を観察することができる施設「宮中魚道観察室」がある。今回訪問した時は残念ながら一般開放期間外であったので入ることはできなかった。

毎年秋には、多い年で600匹もの鮭がここを遡上していくとのこと。運が良ければその様子を見ることができるであろう。

右岸を望む
魚道観察室
魚道の様子(2013年9月撮影)

ダム下流側は当然水量は少なくなるが、ある程度の流量が確保されるよう放水量が調整されているようだ。

浅河原調整池

宮中ダムを後に、車を北上させる。15分ほどで次の目的地、浅河原調整池に到着した。せっかくなので、丘の上から池を俯瞰できる場所にも立ち寄ってみる。なお、この浅河原調整池と近くにある千手発電所へのアクセスは車が無いと不便だ。

浅河原調整池

この池は浅河原川の沢地形を利用して建設され、1945年に完成した人工池。一般見学者用の駐車場に設置されている看板によると、建設当時としては珍しい「アースダム」(土を盛り立てたダム)型式だそうだ。

案内看板

宮中取水口から2本の水路トンネル(全長7.6km)を通って来た水は、池の中央部にある”連絡水槽”に流れ込む。そこで、需要に応じて発電所に送水したり一旦池に貯水したりする調節が行われる。列車本数が増える朝夕の時間帯は、ここから大量の水が発電所に送られるのであろう。

連絡水槽

なお、前述した宮中第二取水口から取った水は「山本第二調整池」という別の調整池に向かい、「小千谷第二発電所」の発電用水として使用されるが、その水路トンネルの途中に分水施設があり、一部の水はこの浅河原調整池に流れ込むとのこと。

ここから千手発電所へは全長3kmの”圧力トンネル”(内部が常に水に満たされ、水圧がかかった状態で通水するトンネル)で水が送られる。

千手発電所

再び車に乗り込み、10分ほど走ると「千手発電所」に着く。前述の通り、ここは信濃川発電所を構成する3つの発電所の中では最も古い。

千手発電所建物とサージタンク
変圧設備の鉄構

この発電所は十日町駅の北西2.7km、十日町市千手地区(旧川西町域)にあり、有効落差は52.1m、5本の水圧鉄管により落とした水で5台の水車発電機を回している。使用水量は最大毎秒250㎥、最大12万kwの発電能力がある。

発電所建設に当たり、十日町駅から資材運搬用の軽便鉄道が建設された。軌道は発電所から更に各現場に伸びていたとの記録がある。

宮中ダムと同じく、建設当時は特需に沸き、「千手よいとこ電気の町よ」といわれる賑わいであったそうだ。

発電所建物の上部には二基の大きなサージタンクがあり、発電所で急に水を止める必要が起こったり、機械に故障が生じたりした場合は、浅河原調整池から圧力トンネルで送られてきた水がこのタンク内に流れ込んで安全弁の役割を果たす。

ここで使用された水は、放水路から再び水路トンネルを通って「山本調整池」に送られ、小千谷発電所の発電に使用される。

山本調整池に向かう放水路

なお、発電所は定期的に一般公開されているので、期間中は内部にある発電機等を見学することが可能。

発電機(2013年9月撮影)
放水口(2013年9月撮影)
水圧鉄管(2013年9月撮影)

送電線

千手発電所で発電された電気は、15万4千ボルトの送電線で三国山脈を越えて首都圏の武蔵境交流変電所に送られ、首都圏JR線の列車運転用電力として使用される(一部は六日町交流変電所から上越線に供給)。下流の小千谷発電所で発生させた電力は、連絡送電線にてこの千手発電所に送られてくるほか、六日町交流変電所及び上越線の各変電所に送られ、同線の運転用電力として使用される。

一方、小千谷第二発電所で発生させた電力は、27万5千ボルトの別系統の送電線で関東に送られている。

首都圏に向かう送電線

鉄塔もかなり古いがしっかりメンテナンスされている様子。千手発電所そばにある「千手-上長崎線」2号鉄塔は同発電所完成と同時の1939年築であるが、近年再塗装及び土台の改修が行われたようで、非常にきれい。水田の中には”工”マークの用地境界杭が鎮座していた。

2号鉄塔の土台部分
鉄塔の標識
用地境界杭

感想

現在も首都圏の通勤通学輸送を支える信濃川発電所。戦前、戦中、戦後にわたり鉄道輸送の発展に与えた貢献度は計り知れないが、一方で流域に対する負の側面も忘れてはならない。

その象徴となる出来事が、2008年に発覚した不正取水問題であろう。許可された最大取水量を超えた取水や最低維持流量の不足など、10年間に渡り違法な取水を行い、更に国に対し虚偽報告を行っていたという、公的な役割を担う企業としては致命的なコンプライアンス違反であった。

川の水は、そこに住む人々の生活に欠かすことができないものであり、また、多様な生態系を育む”いのちの源”である。この貴重な資源を利用させていただくことに対し、事業者は真摯に受け止め、その受益者も常に感謝しなければならない。

環境問題、原発問題、地球温暖化などが絡み、電気の”作り方”及び”使い方”が、将来にわたり人類にとって大きな課題であり続けることは間違いない。どのような交通のあり方が、この問題に対する最適解であるのか、交通により恩恵を受けるすべての人々が真剣に考えなければならないと思う。

参照サイト・文献

東日本旅客鉄道
十日町市
十日町市観光協会
公益社団法人土木学会
十日町市史 通史編4・5(十日町市史編さん委員会編 1996・1997年十日町市役所)
小千谷市史 本編下巻(小千谷市史編修委員会編 1967年小千谷市)
川西町史 通史編下巻(川西町史編さん委員会編 1987年川西町)
中里村史 通史編下巻(中里村史専門委員会編 1989年中里村史編さん委員会)

鉄道コム

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