【2024年6月】根室本線廃止区間(富良野~新得)代替バスの旅

2024年3月末限りでJR根室本線の富良野~新得間が廃線となり、4月よりバスによる代替輸送が開始されています。従来の様な廃止代替バス路線の新設ではなく、既存の複数のバス路線の拡充により利便性が確保されており、その方法が注目されています。今回は、新得から富良野に向けて、列車とバスを乗り継いで移動してみました。その様子を詳しくお伝えします。

はじめに

根室本線(滝川~根室)は、道央と道東を結ぶ鉄路の大動脈であるが、1981年10月にショートカット路線である石勝線(南千歳~新得)の開通により、起点の滝川から新得までの区間が”ローカル線”に転落、1990年には唯一の優等列車として残っていた急行「狩勝」が快速格下げとなり、以後ローカル輸送に徹することとなった。

2016年8月に北日本を襲った台風10号により、本路線も大きな被害を受け、特に東鹿越から石勝線合流点の上落合信号場までの区間では土砂の流入・堆積やのり面崩壊、流木堆積などあわせて21ヶ所が被災、富良野~東鹿越間は鉄路が復旧したものの東鹿越~新得間は復旧の目途が立たず、バスによる代行輸送が続いた。

富良野~新得間の輸送密度(1キロ当たりの1日平均輸送人員)は、石勝線開通直前の1980年度には4,664人だったのが、2015年度には30分の1の152人まで落ち込んでおり、数字の上ではもはや鉄路を復旧させる合理性に乏しい状況であった。

2022年1月に沿線市町村が部分復旧区間含む富良野~新得間のバス転換を容認、前述の通り2024年4月1日に鉄路が廃止となりバスによる代替輸送がスタートした。

代替輸送はやや複雑な体系で、よく確認しないと乗りこなすのは難しい。大まかにいうと、都市間輸送は旭川と帯広を結ぶ都市間バス「ノースライナー」が担当、区間輸送は占冠村営バス、南富良野町営バス、ふらのバス西達布線が主に担当している。

代替交通案内図

新得駅の様子

特急おおぞら5号に乗車し新得に到着。ここに降り立ったのは何年振りであろうか。かつて難所狩勝峠に挑む補助機関車の基地として栄えた鉄道の街であったが、現在は機関区は姿を消し、ごく普通の中間駅となっている。

新得駅舎

さすが特急停車駅だけあり、今や貴重な「みどりの窓口」がある。改札口の隣には根室本線廃止区間に関する立派な掲示物があった。

出札・改札付近
掲示物

ここからトマムまでは折り返す形となる。次の特急とかち8号は14:22の発車なので30分以上時間があるので、とりあえず腹ごしらえすることにした。

駅舎内には嬉しいことに駅そば店が健在。駅前に店を構える「そば処 せきぐち」の分店であるようだ。

そば処 せきぐち

シンプルなかけそばを注文。味はごく普通の駅そばだが、とても美味しく頂いた。

かけそば

そば店の隣にはこれまた嬉しいことに立派な売店もあり、名物の新得そばなどの土産物や菓子類、弁当などが売られている。鉄道やバスのグッズもあり、せっかくなので北海道拓殖バスの”路線図付き乗車券”を購入した。

売店「STELLA」
弁当コーナー
北海道拓殖バス記念乗車券

新得から富良野方面に抜けるには都市間バス「ノースライナー」が便利だ。従前の3往復から5往復に増便され、途中に「落合」停留所が新設された。旧幾寅駅近くの「道の駅 南ふらの」及び「山部」にも停車する。

ノースライナー案内

一方、当駅から東鹿越、金山、下金山、布部の各駅跡には直通するバスは無い。当該駅間のODはほとんど無いと思われるのでそれほど問題にはならなかったのであろう。

新得から列車でトマムへ

そうこうしているうちに、特急とかち8号の発車時刻が近づいてきた。4両編成で全車指定席(うち1両はグリーン車)である。石勝線の新夕張~新得間には普通列車の設定が無いため、同区間の各駅相互間は乗車券のみで特急列車に乗車できる。その場合は普通車指定席の空いている席に座ることになる。

編成案内

約3分ほど遅れて列車がやってきた。JR北海道の標準型特急気動車であるキハ261系だ。

特急とかち8号入線

数名の乗客が乗車する。空いている席に座ると、後ろから乗ってきた人の指定席であることがわかり、慌てて別の席に移動した。

新得を発車すると、狩勝峠に向けて右に左に大きな弧を描いて列車は坂を上っていく。この狩勝峠を越える区間は、その雄大な景色からかつて”日本三大車窓”の一つとして数えられていたが、1966年に現在の新線に切り替えられ絶景を楽しむことができなくなってしまった。

新得~トマム間は1駅区間であるが、営業キロは33.8kmもあり、途中に5ヶ所行き違いのための信号場がある。このうちサミットの新狩勝トンネル内にある上落合信号場は、3月まで根室本線と石勝線の分岐点であった。

14:47、約1分ほど遅れてトマムに到着した。

トマム駅到着

トマムは有名なリゾート施設の最寄り駅。駅周辺には人家は皆無だが、駅前よりシャトルバスが発着しており、観光客の利用も多い。

トマム駅構内

ホームの端には鉄筋コンクリート造の立派な駅舎がある。1981年の開業以来無人駅で、駅舎内には出札窓口が設置されているが、恐らく一度も使われたことは無いのであろう。

トマム駅舎
駅舎内

トマムから占冠村営バスで幾寅へ

トマム駅から幾寅・道の駅南ふらの行きバスは、占冠村営バス2便と南富良野町営バス3便の計5便設定されている。南富良野町営バスは鉄路廃止に伴い新設された系統だ。なお、占冠村営バスは日曜運休なので利用には注意が必要。

次のバスは15:08発の占冠村営バス。乗り場は駅舎の前にあり、バス到着までしばらく待つことにする。

バス停

シャトルバスや列車到着時以外、駅には人の気配は無く、たまに駅前を走る道道を車が通過するくらい。ここ占冠村は全域がヒグマの出没地帯で、道路上での目撃情報も多数ある。安全のため駅舎内で待っていた方が良いのかもしれない。

通過予定時刻より2分ほど遅れてバスがやってきた。駅舎の前のスペースまで入って来てくれると思ったら、そのまま反対車線側の道道本線上で停車した。しっかり手を挙げて乗る意思表示をしないとそのまま通過してしまう勢いであった。

占冠村営バス到着

バスは日野製マイクロバス。白ナンバーの自家用有償旅客運送(道路運送法第78条第2号)で、地元住民の生活の足を確保する目的で村が自家用バスを走らせているもの。本来は村の関係者以外は利用の対象外であり厳密な意味での公共交通では無いが、利用に際して特に制限がかけられていることはなく、むしろ外国人旅行客のために車内には英語表記もある。

車内の様子

乗客は自分一人のみの貸切状態。学校や村支所がある上トマムの集落内で左折して北上する。バスは幾つもの停留所を通過していくが、車内に下車ボタンはあるが案内放送などは一切無いため、降りる場所を運転手に口頭で告げるのが確実。

トマム学校(小中一貫)

しばらくすると根室本線の廃線跡と並走する。時折、もう二度と列車が走らない錆びついたレールを目にする。

廃線跡

新得から狩勝峠を越えてきた国道38号に合流、すぐに落合駅跡に到着した。停留所名は今でも「落合駅前」を名乗っている。ここでも乗降は無し。

旧落合駅舎

更に10分ほど走ると、南富良野町の中心市街地へと入っていく。バスは幾寅駅跡を経由して道の駅みなみふらのが終点となるが、富良野行きのバスにはどちらでも乗り継ぎができる。せっかくなので有名な駅舎を見るために駅跡で下車することにし、その旨運転手に伝えた。

15:44「幾寅駅前」停留所に到着した。「南ふらの情報プラザ」という立派な建物の前が乗降場だ。結局、トマムからここまで乗客は自分一人であった。運賃は510円で現金払いのみ。

幾寅駅前

幾寅から西達布線バスで富良野へ

ここから富良野へは、ふらのバス西達布線が運行されている。元々は富良野市街と西達布を結ぶローカル路線であったが、鉄路廃止に伴い幾寅まで延伸、本数も1日5往復から6往復に増便された。

次の富良野行きは15:50発。わずか6分の乗り継ぎ時間なので、残念ながら駅跡をゆっくりと観察する暇は無い。それでも写真だけでも撮ろうと、急いで情報プラザの隣にある駅舎に行ってみる。

幾寅駅舎

ここは映画『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ地で、映画の舞台となった「幌舞駅」である。内部は映画の記念展示スペースとして開放されている。

駅舎内
ホーム跡

駅前広場の一角には映画で使用された気動車「キハ12 23」の前頭部が保存・展示されている。

そうこうしているうちに、富良野行きのバスが情報プラザ前の乗り場に入ってきた。リフト付きの日野セレガで、延伸に伴い新規導入された3台のうちの1台だ。

ふらのバス西達布線

15:50、定刻に発車。自分を含め2名の乗車。

2分ほどで次の停留所、道の駅南ふらのに到着。ここは都市間バス「ノースライナー」や南富良野町営バス、先ほど乗ってきた占冠村営バスも発着する交通結節点となっている。

道の駅南ふらの
バス乗り場

ここで韓国語を話す観光客らしき3名が乗車した。時間調整のためしばらく停車し、15:55に発車。今日は土曜日なので、道の駅に立ち寄る車の数も多く賑やかだ。

道の駅発車

バスはそのまま国道38号を北上し、幾寅峠を越えて西達布方面に向かう。鉄路は空知川に忠実に沿ってやや南西に迂回していたため、山部までの区間は鉄路とはルートがかけ離れているが、山部~幾寅間の途中駅跡(下金山、金山、東鹿越)へは町営バスがカバーしている。

国道38号

西達布を過ぎると停留所の間隔が短くなる。停留所案内は日英中の多言語放送であるが、ご丁寧に全停留所で3ヵ国語アナウンスがあるため、前の停留所名を全部言い切る前に次の停留所に着いてしまうことも。

西達布停留所

途中の停留所で高校生らしき若者が1名乗車した。土曜日のこんな夕方の時間に富良野の街に買い物にでも行くのであろうか。公共交通が無くなる、もしくは不便になるということは、自分で車の運転ができない子ども達は、自分の自由意思で移動して様々な経験を積むことも難しくなるということ。これは社会全体にとって大きな損失であり、近視眼的に地方公共交通不要論を叫ぶ人はこの問題の重要性に気付いていない。

やがてバスは富良野盆地へと入っていく。線路跡と寄り添う形で山部市街を通過、やまべバスは富良野盆地へと入っていく。線路跡と寄り添う形で山部市街を通過、山部駅跡には寄らず国道上に「山部」停留所がある。

山部駅跡

次の布部駅跡にもよらず、駅の北側の交差点付近に「布部入口」停留所がある。ここは鉄路廃止に伴い停留所の位置が変更となったとのこと。

布部入口停留所

布部付近で2回ほど踏切跡を通過する。この線路はつい2ヶ月ちょっと前まで列車が走っていたので、まるで現役のような状態で線路が残されていた。

国道237号を北に進み、富良野市街へと入っていく。富良野高校前で3名が下車。バスは市街地を時計回りにぐるっと半周して富良野駅に定刻に到着した。運賃は1,200円で現金で支払う。

富良野駅到着

バスは駅の反対側にある「協会病院」が終点。乗客ゼロの回送状態で発車していった。

富良野駅を発車するバス

感想

バスのドライバー不足が深刻化し、従来の様な廃止転換バス路線の新設が難しくなっている中で、この根室本線の廃止代替交通は、既存の交通手段を上手く活用し鉄路廃止による影響が最小限に抑えられている。やや分かりにくさはあるものの、実際に利用してみて、よく考えられた仕組みであると感じた。

今後の課題は、これらバス路線をいかに維持していくかということであろう。記事内でも述べた通り、公共交通の衰退は住民の生活の質を低下させ、やがて社会的な損失に繋がっていく。短絡的に都会に移住すればよいという人もいるが、では食料はどこの誰が生産するのか、山や野が荒れ果てないようにどこの誰が維持管理するのか、という問題に突き当たる。

そのためには、本ブログでも何度も同様の趣旨のことを述べてきたが、交通モードや事業者によってバラバラな施策や案内を統一し、誰にとっても分かりやすく利用しやすい公共交通体系の構築が必要であろう。

余談

1990年代、当時学生であった筆者は約10日間かけて北海道の鉄路を完乗すべく旅をしていた。新得から根室本線の普通列車で滝川に向かっていた最中、集中豪雨のため東鹿越で運転見合わせとなってしまった。滝川で稚内行きの夜行列車「利尻」に乗り継ぐ予定であったが、全く動く気配が無く不安に思っていたところで、運転士、車掌や他の乗客たちが駅舎の中に向かう様子が見えたので自分も伺いに行ってみることに。人気の無い小さな駅だが駅長が勤務しており、すっかり無人駅だと思い込んでいたので大変驚いた記憶がある。当時の東鹿越は貨物列車が発着しており、運転取扱のための要員であることを後で知った。

駅事務室内では駅長、乗務員と乗客の間で今後の接続等の確認が行われた。何時間か停まっていたであろうか、保線職員による線路の点検が終り運転再開となり、運転士より可能な限り回復運転に努めるという心強い言葉を頂き列車に乗り込んだ。幸い、滝川で網走行きの「大雪」に接続、更に旭川で稚内行きの「利尻」が待っていてくれ、翌朝無事に稚内に到着することができた。

あれから30年以上もの歳月が過ぎ、東鹿越駅も夜行列車も過去のものになってしまったが、あのときの様子は今でも記憶に焼き付いている。

鉄道コム


コメント

タイトルとURLをコピーしました